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柳兼子は、「日本の声楽の母」「声楽界の至宝」と称(たた)えられ、社会的にも認められた存在だった。その九十二年間の生涯の中から“我孫子時代"を中心に話を進めたい。 |
1. |
『白樺』創刊(1910・4)の数日前に、中島兼子は柳宗悦に会い、長い交際を経て結婚(1914・2・4)、その7か月後に我孫子町南作(天神山)の「三樹荘(さんじゅそう)」に転居。 |
2. |
帝国劇場で山田耕筰(やまだこうさく)指揮による80名のオーケストラをバックに歌劇『カルメン』中の「ハバネラ」を独唱(1914・12)。長男の宗理(むねみち)誕生(1915・6・29)。 |
3. |
帝劇オペラ『古城の鐘』は、兼子の唯一のオペラ出演(1916・5)。次男の宗玄(むねもと)誕生
(1917・2・18)直後に、実家の中島鉄工場が倒産し、宗悦も父からの遺産を失う。 |
4. |
志賀直哉夫妻、我孫子町雁明(がんみょう)に転居(1915・9)。武者小路実篤夫妻、我孫子町根戸に転居(1916・12)。「三樹荘」の庭にリーチの我孫子釜と仕事場完成(1917・3)。 |
5. |
白樺同人が「公共白樺美術館」設立運動を開始し(1917・10)、その資金集めの為に「柳兼子独唱会」を各地で開催、これが日本の声楽リサイタルの嚆矢(こうし)となる。 |
6. |
「白樺十周年記念・柳兼子独唱会」は急病で参加できず、続く二回の「柳兼子独唱会」(1919・10/20・7)で、リート歌手としてのスタンスを明確に打ち出す。 |
7. |
“個性"尊重の「白樺派」と“個性教育"を志す「信州白樺派」との交流。武者小路の「新しき村」が宮崎県に誕生(18・11)。リーチの仕事場焼失(1919・5)。 |
8. |
朝鮮で抗日独立運動が起こり(1919・3・1)、兼子は日本側の厳しい弾圧に抗議する宗悦と共に、“朝鮮に捧げる音楽会"を朝鮮と日本各地で開催。 |
9. |
宗悦が「朝鮮民族美術館」の設立運動を開始し(1920・12)、その募金の為に夫妻で演奏会ツアーの計画を立てる、我孫子から東京都赤坂区へ転居(1921・4〉。 |
10. |
二十世紀に生きた柳兼子の、二十一世紀へ託すメッセージ。 |