白樺教育館
 
   

武田康弘(たけだ やすひろ)の自己紹介文
(参議院総務委員会調査室からの依頼により記述)

武田康弘
2011年1月
撮影:西山裕天(ひろたか)

 わたしは、従来の履歴書のような紹介はしたくありませんし、されたくもありませんので、内容的な紹介文を書きたいと思います。

 まず、生まれは千代田区の神田須田町ですが、文京区の向丘と半分ずつの生活でした。複数の大学で哲学の授業を受けましたが、どうにも大学の哲学にはなじめず、1976年、24歳のときに千葉県の我孫子市に私塾を開き、同時に教育の本質を考える『我孫子児童教育研究会』を主宰して、自力で哲学する営みを続けました。30歳を過ぎてからサルトルやポンティの邦訳者でもある哲学者の竹内芳郎氏に師事し、言語論・文化論・宗教論などを学びました。

 その後、竹内氏と共に1989年より東京の狛江市で『討論塾』を開き、新たな対話文化を生むための活動に取り組みました。また、その少し前の1987年より、市民の直接参加による政治をつくるための新たな哲学=「実存論を基底とする公共的な思想」を生むために、『我孫子哲学研究会』を立ち上げました。そこでの近代民主主義社会の原理論とフッサール認識論を中心とした哲学研究は、その後、同志の福嶋浩彦(当時我孫子市議・1995年から2007年まで我孫子市長)により、我孫子市政の現場で活かされることになりました。

 これとほとんど同時期に、我孫子市の中学校で行われていた管理教育を是正する市民運動を起こし、体罰と丸刈り強制の撤廃を実現しましたが、その運動の経緯は、岩波書店から依頼された原稿(「世界」92年8月号「我孫子丸刈り狂騒曲」)に記しました。

 また、1991年に「オンブズマンと情報公開を考える会」をつくり、千葉県ではじめて、決済前の文書と議会情報を含む情報公開条例の制定に力を注ぎました。

 1999年からは、白樺派のコロニーであった我孫子の地に『白樺文学館』を創設するための仕事に全精力を傾け、白樺思想の定義と資料の収集から始まり、建物のコンセプトとディテール決定を含む全コンセプトを作製し、初代館長を勤めました(オーナーは、初代オラクル社長の佐野力氏)。

 現在は、私塾『ソクラテス教室』を発展させた『白樺教育館』(2004年に私が建造)において、小学生から70才過ぎの方までの「意味論による教科の学習」と「対話方式による哲学授業」を行っています。なお、金泰昌氏との出会いは、『白樺教育館』の基本理念―「市民大学・白樺フィロソフィーと民知の理念」によるもので、2005年6月に金氏が『白樺教育館』を訪れたことから交際が始まりました。

 わたしの思想的な立場は、「哲学史 内 哲学」という狭い世界から抜け出し、生活世界に立脚して「ふつう」のことばで自由対話する哲学運動=「民知」の提唱ですが、それこそが本来的な公共哲学(市民みなの哲学)である、と考えています。

武田康弘 1952年生まれ 現住所 千葉県我孫子市寿2−27−11
2008年1月

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  参考:館長・武田康弘がタケセンと呼ばれるわけ(少し古い紹介文)=>

   
 
   
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