富本憲吉 (とみもと けんきち) 1886-1963

 リーチの友人であり、リーチの六世乾山(けんざん)入門のとき通訳をつとめたことから自身も作陶の道へ入った富本憲吉は、日本近代陶芸家の先駆者としての位置を確立した。
 彼の初期の楽焼(らくやき)は、リーチの初期のそれと見分けがたいほどの親近性を持つ。二人はともに六世乾山から皆伝目録を授けられ、七世乾山を称することを許された。
 富本は、絵付けの名手としての名声を得た。楽焼と陶器の美しい染付模様は、彼の独壇場(どくだんじょう)であった。
 リーチを介しての柳宗悦との交遊の影響もあったと考えられるが、雑器の美的価値を十分に尊重していた。職人の素地に絵付だけをする量産も試みている。のちに民芸運動から離脱してからも、同様の仕事は機会あるごとに企画し、実行した。
 ちなみに、誰よりも早く富本の模様を高く、評価し、紹介を試みたのは柳であった。

(水尾比呂志著 「民芸運動の作陶家」1977より)