河井寛次郎
(かわい かんじろう) 1890−1966
近代日本の陶芸家群の中で、後世に記憶さるべき業績を確立し得ているのは、富本憲吉と河井寛次郎と濱田庄司の三人ではなかろうか。
河井寛次郎は、無位無冠の芸術家だった。パリやミラノの国際展での受賞も、本人には無断で友人が出品した結果のことにすぎない。人間国宝への認定や、芸術院会員への招き、そして文化勲章と寛次郎はそのいずれも固辞して受けなかった。
寛次郎の陶技は、まことに天才のみがなし得る多様性と徹底性を示している。陶技と呼ぶことも躊躇(ちゅうちょ)されるような、それは壮烈果敢(そうれつかかん)な造型の闘いだった。体内から外に出してくれと叫ぶものを、焼物で、木彫で、文筆で、一刻も休むことなく表現し続けた生れながらの法悦(ほうえつ)の造形詩人。仕事を悦(よろこ)び己れを悦び、悦びそのものを悦び続ける絶対肯定の境地から生まれ出た河井寛次郎の仕事の豊饒(ほうじょう)さは、世界造形史の高峰のひとつに数えられてよい。
(水尾比呂志著「河井寛次郎」1977より)
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