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  • 218. クルレンツィスによるベートーヴェン交響曲7番、
       ソクラテスが神託を受けたデルフォイで演奏。
       変革と新たな精神文明への烽火!!

  • 218. クルレンツィスによるベートーヴェン交響曲7番、
       ソクラテスが神託を受けたデルフォイで演奏。
       変革と新たな精神文明への烽火!!

      最初の写真は、染谷裕太君が、2018年7月に撮影したデルフォイの俯瞰とソクラテス教室のマスコット人形のソクラテス。

     これは、裕太君が4か月以上をかけた「エーゲ海、古代哲学の旅」での貴重な一枚です。クルレンツィス+ムジカエテルナ(クルレンツィスが30代の時に組織したスーパーオーケストラ)と彼の同伴者たちが、このデルフォイでベートーヴェン交響曲7番を演奏したちょうど3年前の写真です。

     その後の写真は、下記プロモーションビデオ(9分間です)からです。

    (写真クリックでもう少し大きな画像を表示されます.)

     

     

     なぜ、クルレンツィスらは、ソクラテスが神託を受けたデルフォイ(デルポイとも表記されるが、現代ではDelphiは、デルフィー・アクセントは最後のphi)で、ベートーヴェンを演奏したのでしょうか?

     そもそも、ソクラテスがデルフォイで受けた神託とは何か? ご存知でない方も多いと思いますので、以下に記します。


     ソクラテスがデルフォイの神殿で神託を受けてから、有名な【ソクラテスの対話】が始まるのですが、それは弟子のプラトンにより「対話編」として残されています。もっとも多く読まれてきたのが「ソクラテスの弁明」で、そこには以下のように記されています。

    私は、デルポイに出かけていって神託を受けることをあえてしたのです。
    それはつまり、私よりだれか知恵のある者がいるどうかということを、たずねたのです。すると巫女は、より知恵のある者は誰もいないよ答えたのです。・・・いったい神は何を言おうとしているのだろうか。いったい何の謎かけをしているのだろうか。なぜなら
    私は、自分が大にも小にも、知恵のある者なんかではないのだと自覚しているからだ。・・・


     私は長いあいだ思い迷って、やっとのことでその意味を、次のような仕方でたずねてみることにしたのです。それはだれか知恵のあるとおもわれている者を訪ねることだったのです。

     ところがその人物を相手にしながら子細に観察しているうちに、私は、次のような経験をしたのです。この人は、皆に知恵のある人物だとみなされていて、自分でもそう思い込んでるらしいけれども、実はそうではないのだと思われるようになったのです。

     そしてそうなったとき、私は、彼に、君は知恵があると思っているけれども、そうではないのだと、はっきり分からせてやろうと努めたのです。するとその結果、わたしは、その男にも、その場にいた多くの者にも憎まれることになったのです。・・・・・

     


     アテナイ人諸君、誓っていいますが、私としてはこういう経験をしたのです。つまり、名前のいちばんよく聞こえている人の方が、神命によって調べてみると、思慮の点では9分9厘まで、かえって最も多く欠けていると私には思えたのです。これに反して、つまらない身分の人の方が、その点、むしろ立派に思えたのです。」 (中央公論「世界の名著」・田中美知太郎訳。抜粋は武田)

     

     クルレンツィスは、繰り返し、以下のように発言しています。以下は、2019年2月の初来日時のパンフレットより。


    「わたしがギリシャ(アテネ)で生まれたことはとても幸運です。ギリシャ哲学から多くのことを学んだことで、物事を見る特別の視点を持つようになりました。古代の哲学書を読めば、iPadやインターネットがなくても精神的に我々より進んでいた彼らの方が賢いことが分かります。」

    「天才的な作曲家は時代を超越しています、すべての音楽は現代音楽なのです。わたしがやろうとしてるのは、音楽を再生産するのではなく、解釈し、夢想しながら、超越的な体験を引き出したい。それにはエネルギーが必要です。人々はなぜロックコンサートで熱狂するのか。演奏者が感じているエネルギーが聴衆に伝わるからです。教育で無菌化された学者のような音楽家が奏でるのは、音楽の内部ではなく、音符に過ぎません。クラシックの音楽家はダンスのステップさえ知りません。



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     2016年3月号の「レコード芸術」のインタビューでは以下のように述べています。

    「私は理想の世界を追い求めています。そこでは人種や国の差はなく、武器もない。肉体的なものと精神的なものが結びつき、芸術によって『永遠』に触れることができる道を求めているのです」

     「私の旅は、真実を求める旅です。普通の音楽大学に入って、制度化された道をたどるのは退屈だと思いました、そこでムーシン(ソ連・ロシア)に会い、【俗世にまみれてはいけない】という考えをもつようになったのです」


    「私には、華麗なオペラのディーヴァが人を泣かせることはできるとは思いません。農村の老人が一本弦の楽器を弾いた方が、ずっと心を打つのです。この純粋なつつましやかなサウンドこそが、われわれの本来の血です。音楽大学でピカピカに磨き上げられたアカデミックなサウンドは、ジュースにすぎません

     

     「音楽ビジネスの制度に従った、もの分かりのいい指揮者の普通の受け答えはしない」というクルレンツィスは、世界的な巨大資本のソニーレコードとの専属契約では、かつてない非常識なものとなりました。ソニーは、クルレンツィスの要望をすべて受け入れるという途方もない契約なのです。それが、今回の文明転回の烽火(ほうか)をあげるデルフィーでのベートーヴェン交響曲7番の舞踏付き演奏を可能にしたのでしょう。舞踏付きの7番はかつて存在しませんでした。


     また、クルレンツィスは、他の惑星の住人から地球の文明について聞かれたら、パルテノン神殿(自由・平等の民主主義を現わす水平な建造物の傑作)と、ベートーヴェン交響曲9番をよりよく演奏することだ。と述べています。わたしも全く同意見でなんとも嬉しくなります。第九をパルテノンでやるのかな?

    番のCDは、4月に発売されていますので、わたしの4月9日のBlog記事(下記に転載)をぜひご覧下さい。

    参考・古代エーゲ海哲学の旅(トルコ~ギリシャ)は、わたしの長年の教え子(中1から大学卒業まで)の染谷裕太君が、徒歩と自転車で4か月以上かけて行い、美しい写真を撮り、優れた日記を書いています。それらは、白樺教育館のホームページで見ることができます(アップの労は古林治さん)。

    fbコメント
    染谷 裕太(8月4日)

     世界の中心デルフォイ!(古代ギリシャではそう思われていた) でベートーヴェンを演奏。しかも踊り付き。
    これは全人類に対しての神託でしょうか 笑

    2021-08-03
    武田康弘


      以下は、クルレンツィスの「ベートーヴェン交響曲第7番」のCDが発売された直後に、武田康弘がブログに載せた批評です。

    クルレンツィス指揮ムジカエテルナの「ベートーヴェン交響曲第7番」に驚嘆!
    全世界を体験したような強烈なまでの充足感

     これは、名演という話ではすまない。 最初の一音から異次元で、比較も批評も超えている。

     完璧なまでの構造性を示すが、構造主義のような形式優位で冷たく面白くない世界とは対極。 熱く、動的で、千変万化する世界が繰り広げられ、柔軟かつ強靭な躍動感に溢れ、一時も飽きさせない。

     二楽章の弱音は聞き取れないほど小さく、強奏との対比・ダイナミックレンジは、かつて存在しなかった世界だ。それによる緊張感と立体感には驚くほかない。こんな精緻なオケは他にない。 万華鏡のように多彩な音楽だが、そこからは豊かなファンタジーが広がり、心身も頭も快感で満たされ、あっという間に時が過ぎる。

     言葉で表現できない奥深い哲学が音楽になって現前するさまは、かつて聴いたことがない。

     三楽章四楽章の跳躍も、鋭敏な感覚神経と、身体の優れた運動性と、広大なファンタジーと、奥深いフィロソフィーの融合に呆然とするのみ。 聴き終えると、全世界を体験したような圧倒的な充足感で、黙るほかない。全身が痺れてしまうが、女性なら泣きだすか、失神するか、だ。

     クルレンツィスよ、君は違反だ、ムジカエテルナの仲間と共にクラシック警察に逮捕されるぞ!(笑)

    2021-04-09
    武田康弘  

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