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必要なのは、おどけ・ふざけ・悪さです

 お母様、お父様、 教育とか躾(しつけ)と思って(妄想してー失礼!) 子どもの心を抑圧し、歪めてはいませんか?
発育、発達には順番があります。子どもは、十分にふざけ、おどけ、ばかを言い、けんかをし、悪さをしなければ、けっしてまともな大人にはなりません。早く大人にしようとすれば、小利口のつまらない人間か、外見だけを整えた偽善者か、心の深部に不満を抱えた犯罪予備者にしかならないのです。

 高校生になり、二十歳になって「狂って」いる青少年は、幼少期―小学生までの時期に、十分にばかを言い、やれなかった(保護者―親によって抑圧された)子どもたちの姿です。

 自然な<順番>をわきまえない大人の見栄や身勝手が、子どもを狂わせるのです。生まれつき悪い子どもなどいません。いるのは、エゴと偽善の外面(そとづら)人間としての大人だけです。子どもの問題?などはないのです。あるのは、大人の問題だけです。大人が、偽善者としての生・輪郭線だけの生をやめなければ、よい子は育ちません。ただの「事実学」に依拠した教育では、エロースのない形骸としての人間しか生まないのです。意味の濃い悦びのある人生を歩めない人間が増えれば、日本社会は元から腐ってしまいます。

 記号操作だけの脆弱な人間や、口先だけのヘリクツ人間は、現代日本の「紋切り型」教育の所産です。意味の追求―自分の頭で考える力は、受験主義のマニュアル教育では育ちません。型にはめられた良い子―大人にとって都合のいい子は、何も生みません。

 順を踏むこと、「飛ばし」の英才教育をしないこと。これは教育の原理です。子どもは自分でいろいろと試してみる時間的ー精神的余裕が持てないと、主体性を持った思考する人間にはなれないのです。子どもを「病気」か「ロボット」にするために必死で努力する!? もうそろそろこんな「狂って」いて「損」で「愚か」で「非現実的」な行為は、やめにしたいものです。

 ○△式や進学塾のシステムで教育された「優等生」=底力のない上っ面人間たちは、社会から輝き・悦び・活力を奪ってしまいます。自分自身の生活と心の内側に善・美がないからです。外的な価値しか分からない心の貧弱な人間は、「よきもの」全てを壊してしまうでしょう。

 生活=体験=直観に根差した意味をつかめるよき心と頭を育てる条件は、子どものありのままの心を受け入れ愛すること、急がずに順を踏むことです。「おどけ・ふざけ・悪さ」から一段づつ階段を上ることが必要です。「飛ばし」をすれば、必ず失敗します。

繰り返します。これは教育の原理です。

2006年1月10日
武田 康弘

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